2021年5月11日 | 京都府宇治田原町の巖松院(がんしょういん)様(高野山真言宗)で、府暫定登録文化財書院及び庫裏の修繕を行ないました。 |
・概 要: |
京都府綴喜郡宇治田原町の巖松院様(高野山真言宗)にて、府暫定登録文化財書院及び庫裏の内、庫裏の修繕を実施致しました。
巖松院様では、府暫定登録文化財中門保存修理工事をさせて頂いています。
府暫定登録文化財本堂の北側に配された書院及び庫裏は、文政5年(1822)に上棟されています。
巖松院様の建築は地元田原出身の名工柴田新八郎棟躬(1801〜1849)によるものと伝わっています。
<参考文献>
・『山城綴喜郡誌』(京都府教育会綴喜郡部会、1908年)
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・工事期間: | 2021年5月10,11日(現地作業)。 |
・工事内容: | 庫裏土間の式台板(松:下面のみ古色塗り)及び羽目板(杉:古色塗り)の取替え。
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・リポート: | 庫裏土間の修繕を行ないました。
取外した式台板から「尾州知多郡坂井村 大工 吉蔵」という坂井村(現愛知県常滑市坂井)の大工による墨書(ぼくしょ)が発見されました。
巖松院様の建築を手掛けた名匠柴田新八郎は、真宗大谷派の本山である東本願寺造営において惣肝煎という中心的な役職を勤めました。
また、柴田新八郎棟躬には京都、大阪、大津、尾張、三河、能登に門弟がいたことも知られています。
現在、当社で改修工事中の土橋八幡社舞殿(愛知県豊田市)を建立したと推定される岡崎の大工杉浦家も京都 柴田新八郎 門人を名乗っています。
今回発見された墨書の「尾州知多郡坂井村 大工 吉蔵」も、柴田新八郎の門弟であった可能性もあります。
この貴重な式台板は巖松院様にて、今後も末永く保存して頂きます。
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(1) 書院及び庫裏 東面及び北面 |
(2) 工事前 土間内部南面 |
(3) 工事後 土間内部南面 |
(4) 工事前 土間内部西面 |
(5) 工事後 土間内部西面 |
(6) 工事中 式台板・羽目板の取外し |
(7) 工事中 羽目板の取付け |
(8) 式台板から発見された「尾州知多郡坂井村 大工 吉蔵」の墨書 |
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