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京都府宇治田原町
府暫定登録文化財 巖松院(高野山真言宗)中門保存修理工事

2020年10月20日京都府宇治田原町の巖松院(がんしょういん)様(高野山真言宗)で、府暫定登録文化財中門保存修理工事に着手しました。
・概  要:京都府綴喜郡宇治田原町の巖松院様(高野山真言宗)にて、府暫定登録文化財中門保存修理工事をさせて頂いています。
庭園の入口に配された中門は、共に府暫定登録文化財に登録されている本堂、書院及び庫裏と同じ19世紀中期の建築と推定される切妻造、桟瓦葺の棟門です。
 
巖松院様の建築は地元田原出身の大工柴田新八郎棟躬によるものと伝わっています。 柴田新八郎(木子)棟躬(1801〜1849)は、東本願寺文政度造営(安政の大火で焼失)などの各宗派本山の作事に関与した名工として知られ、禁裏御所修理にも携わり、日向掾の宣下をうけています。
現在の重要文化財東本願寺阿弥陀堂棟梁である木子棟斎(柴田新八郎棟斎、木子大和大掾)(1827〜1893)は、棟躬の養子にあたります。

棟斎や尾張の伊藤平左衛門家(八世、九世)も参加した万延元年(1860)建立の高野山金剛峯寺金堂では、柴田新八郎棟躬が総肝煎をつとめています(※完成前に客死)。
この時の金堂は昭和元年(1926)に焼失してしまいますが、昭和7年(1932)に武田五一・天沼俊一両博士の指導のもと、当社初代魚津弘吉を木工事の棟梁として再建されています。

<参考文献>
・『宇治田原町史』第1巻(宇治田原町、1980年)
・『明治造営百年 東本願寺・下』(真宗大谷派本廟維持財団、1978年)
・『真宗本廟(東本願寺)造営史―本願を受け継ぐ人びと―』
 (東本願寺出版部、2011年)
・工事期間:2020年10月 〜 2021年1月
・工事内容:屋根葺替えと礎石の据え直し、木部の全解体修理(※一度部材を全て解体保存し、腐朽部を修理して再度組み上げる)を実施します。
このうち、当社は木工事を担当させて頂きます。
・リポート:中門木部の解体保存を行ないました。
京都府文化財保護課の許可を得て、解体保存部材は当社に持ち帰り、修理をします。
今回、補助金交付に係る提出書類の作成手続きのお手伝いも、当社にてさせて頂きました。

(1) 住職による契約書の調印

(2) 中門と共に文化財登録されている本堂、書院及び庫裏

(3) 中門正面全景

(4) 中門背面全景

(5) 瓦の取り外し状況(奥は式台玄関)

(6) 中門の調査、解体保存状況

(7) 解体保存された中門の部材

(8) 中門解体保存後

(9) 仮設扉の設置状況

(10) 万延元年(1860)に柴田新八郎棟躬(日向掾)を総肝煎として建立された
「高野山金堂側面」(魚津社寺工務店所蔵写真)

(11) 昭和7年(1932)に魚津弘吉を木工事棟梁として建立された
「金堂正面図」(魚津社寺工務店所蔵図面)
2020年12月14日京都府宇治田原町の巖松院(がんしょういん)様(高野山真言宗)で、府暫定登録文化財中門保存修理工事を行なっています。
・概  要:京都府綴喜郡宇治田原町の巖松院様(高野山真言宗)にて、府暫定登録文化財中門保存修理工事をさせて頂いています。
庭園の入口に配された中門は、共に府暫定登録文化財に登録されている本堂、書院及び庫裏と同じ19世紀中期の建築と推定される切妻造、桟瓦葺の棟門です。
巖松院様の建築は地元田原出身の大工柴田新八郎棟躬によるものと伝わっています。
柴田新八郎(木子)棟躬(1801〜1849)は、東本願寺文政度造営(安政の大火で焼失)などの各宗派本山の作事に関与した名工として知られ、禁裏御所修理にも携わり、日向掾の宣下をうけています。
現在の重要文化財東本願寺阿弥陀堂棟梁である木子棟斎(柴田新八郎棟斎、木子大和大掾)(1827〜1893)は、棟躬の養子にあたります。
棟斎や尾張の伊藤平左衛門家(八世、九世)も参加した万延元年(1860)建立の高野山金剛峯寺金堂では、柴田新八郎棟躬が総肝煎をつとめています(※完成前に客死)。
この時の金堂は昭和元年(1926)に焼失してしまいますが、昭和7年(1932)に武田五一・天沼俊一両博士の指導のもと、当社初代魚津弘吉を木工事の棟梁として再建されています。

<参考文献>
・『宇治田原町史』第1巻(宇治田原町、1980年)
・『明治造営百年 東本願寺・下』(真宗大谷派本廟維持財団、1978年)
・『真宗本廟(東本願寺)造営史―本願を受け継ぐ人びと―』
 (東本願寺出版部、2011年)
・工事期間:2020年10月 〜 2021年1月
・工事内容:屋根葺替えと礎石の据え直し、木部の全解体修理(※一度部材を全て解体保存し、腐朽部を修理して再度組み上げる)を実施します。
このうち、当社は木工事を担当させて頂きます。
・リポート:京都府文化財保護課の許可を得て、解体保存部材を当社に持ち帰り、修理を行ないました。
当社の木部修理中に礎石の据え直し等の石工事も完了しています。
12月8〜10日に修理した部材を現地にて復原する作業を実施しました。
令和3年1月には瓦葺きが行なわれる予定です。
今回、文化財補助金交付に係る提出書類の作成手続きのお手伝いも、当社にてさせて頂いています。

(1) 腐朽箇所

(2) 腐朽箇所 修理(根継ぎ)

(3) 虫害箇所

(4) 虫害箇所 修理(埋木)

(5) 中門 正面 解体保存前(10月19日時点)

(6) 中門 正面 木部復原後(12月10日時点)※白木は仮材

(7) 中門 背面 解体保存前(10月19日時点)

(8) 中門 背面 木部復原後(12月10日時点)※白木は仮材
2021年1月19日京都府宇治田原町の巖松院(がんしょういん)様(高野山真言宗)で、府暫定登録文化財中門保存修理工事が完了しました。
・概  要:京都府綴喜郡宇治田原町の巖松院様(高野山真言宗)にて、府暫定登録文化財中門保存修理工事をさせて頂きました。
庭園の入口に配された中門は、共に府暫定登録文化財に登録されている本堂、書院及び庫裏と同じ19世紀中期の建築と推定される切妻造、桟瓦葺の棟門です。
巖松院様の建築は地元田原出身の大工柴田新八郎棟躬によるものと伝わっています。
柴田新八郎(木子)棟躬(1801〜1849)は、東本願寺文政度造営(安政の大火で焼失)などの各宗派本山の作事に関与した名工として知られ、禁裏御所修理にも携わり、日向掾の宣下をうけています。
現在の重要文化財東本願寺阿弥陀堂棟梁である木子棟斎(柴田新八郎棟斎、木子大和大掾)(1827〜1893)は、棟躬の養子にあたります。
棟斎や尾張の伊藤平左衛門家(八世、九世)も参加した万延元年(1860)建立の高野山金剛峯寺金堂では、柴田新八郎棟躬が総肝煎をつとめています(※完成前に客死)。
この時の金堂は昭和元年(1926)に焼失してしまいますが、昭和7年(1932)に武田五一・天沼俊一両博士の指導のもと、当社初代魚津弘吉を木工事の棟梁として再建されています。

<参考文献>
・『宇治田原町史』第1巻(宇治田原町、1980年)
・『明治造営百年 東本願寺・下』(真宗大谷派本廟維持財団、1978年)
・『真宗本廟(東本願寺)造営史―本願を受け継ぐ人びと―』
 (東本願寺出版部、2011年)
・工事期間:2020年10月 〜 2021年1月
・工事内容:屋根葺替えと礎石の据え直し、木部の全解体修理(※一度部材を全て解体保存し、腐朽部を修理して再度組み上げる)を実施しました。
このうち、当社は木工事を担当させて頂きました。
・リポート:1月に瓦葺きが行なわれ、全工事が完了しました。
今回、文化財補助金交付に係る提出書類の作成手続きのお手伝いも、当社にてさせて頂いており、今後、実績報告書類の提出を行ないます。

(1) 工事前 北面

(2) 工事後 北面

(3) 工事前 東面及び北面

(4) 工事後 東面及び北面

(5) 工事前 西面及び南面

(6) 工事後 西面及び南面

(7) 工事前 西から東を見上げる

(8) 工事後 西から東を見上げる








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